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『ここまで来たよ、35年』〜あるTシャツ屋さんの記録〜 No.1

 

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 へいそう! はじめまして…と言いましても、少し旅に出ていました。わけあって帰ってきました『ひらけ!Habu Box』のへいそうです。しばらく留守にしてたから忘れていたひとも多いかもしれません。これからこのブログで、またいろんなゆんたくをしていきますからよろしくおねがいしますね。

 さて引っ越し第1弾は、『ここまで来たよ、35年』〜あるTシャツ屋さんの記録〜のタイトルで、Habu BoxのTシャツデザインを振り返って歴史を過去に後ろ歩きしてみましょう。ちなみに、このシリーズは4回に分けて配信します。まずは、そのメニュー。

 No.1 堅苦しいあいさつと時代区分

 No.2 Tシャツデザイン史Ⅰ(1980〜1988)

 No.3 Tシャツデザイン史Ⅱ(1990〜1998)

 No.4 Tシャツデザイン史Ⅳ(1999〜2001)

 

 なお、デサイン区分は2010年代までですが、今回のTシャツデザイン史は2001年までです。近々、おいおいやっていきますから、ごかんべん。いいわけをさせていただきますと、1890〜2001年までのデザイン史は、とてもユンーク。社会的な背景もあったんでしょうね。ここだけひもといてもけっこうおもしろいものがあります。さて、ゆんたくはこれくらいにして、さっそくまいりましょう。Here We Go!

 

No.1 堅苦しいあいさつと時代区分

 

 私たち「ハブボックス」は、沖縄の祖国復帰から5年後に若きデザイナー2人が絵を担保に銀行の扉をたたいたのがそもそもの始まりです。それから35年経ちました。その間、デザイン業を中心に沖縄観光産業にも関わり「クリエイティブ」の足場を固めながら仕事をしてきました。

 なんやかんやとTシャツ業を前に歩かせて行くと、いつのまにか後ろにTシャツデザインの新しい道ができていました。それがハブボックスのTシャツの歴史なんですね。いわばクリエイターたちは、それぞれの時代を切り取ってデザインしてきたのです。

 たとえば1980年前後から始まった大胆なイラストを駆使した時代、1990年代の沖縄とアメリカが混合した時代、1990年代中半から2001年頃までの社会や政治にメスをあてたモダンアートの時代、2000年代の魂回帰の時代。2010年代のトライバル(民族調)の時代。あれやあれやというあいだに、Tシャツたちは、そんな時代のエッセンスを秘めた道を歩んできたんです。

 このTシャツのデザインの歴史の背後をよくみると、沖縄の観光経済や世相が「ファッション目線」で浮き上がってみえてくる気がします。復帰40年の「Tシャツ史」をフィルターにすることで、切り口の違った沖縄の消費や思考の感覚が見えてくるかもしれませんね。

 

〜Habu Box T-shirts かけあ史〜

 

Ⅰ【1970年代】

★オキナワングラフィックTシャツの黎明期

 1965年のベトナム戦争勃発などにより、軍需物資が民間に出回り始める時代です。そのころ作業着としてのTシャツに遭遇した沖縄の初期グラフィックデザイナーたちがいました。英語のカッコよさに圧倒された時代ですね。そのご、1972年の復帰を契機に来沖してきた観光客たちへ向けて、アメリカンチックのTシャツをデザインし始めました。これがオキナワングラフィックTシャツのスタートだったんですね。

 

Ⅱ【1980年代】

★ポップトレンドを取り入れたシリーズものが続々

 このころグラフッックデザイナー達は、アメリカのTシャツデザインに限界を感じ、本土から流入したグラフィックの表現手法を学びはじめます。しかし沖縄が獲得したアメリカ直輸入のデザイン力は、かんたんには手放しませんでした。トロピカルやリゾートをモチーフにしたサーフィンや動植物のキャラクターなどをデザインしていくのです。ポップトレンドを取り入れたシリーズに取り組むのもこの時代です。

 

Ⅲ【1990年代】

★ メッセージ性の強い個性豊かなTシャツデザイン台頭

 この時代は、沖縄グラフィックの動乱期と言えましょう。1990年前後のマッキントッシュの出現で、手技から開放されたデザイナーたちの時代の変わり目です。それに、そのころ沖縄にはいろんな社会的なできごとがありました。首里城復元、安室奈美恵デビュー、沖縄米兵少女暴行事件などです。そこでグラフィックデザイナーたちは、テーマやモチーフに案を盛んに「の廻らせます。つまりはデザインの発想について怒濤の時代が到来したのです。当然グラフィックデザイナー達は時代に後押しされ、メッセージ性の強い個性豊かなTシャツデザインを手がけました。

 

Ⅳ【2000年代】

★オキナワンTシャツデザインの原点模索の時代

 復帰から30年たちました。アメリカとジャパンというグラフィック感性の料理をひと通り完食してあとの時代です。沖縄のグラフィックデザイナー達は、Tシャツデザインの原点を模索しはじめます。亀甲墓にヌードや国道58号などの奇々怪々なデザインがぞろぞろと出てきます。この時代は、沖縄の時代状況のなかで生まれたユニークなデザインに遭遇することができます。

 

Ⅴ【2010年代】

★トライバル(民族調)の時代

 復帰から40年たちました。Tシャツの生まれ故郷であるアメリカに「東洋性」を打ち出したのが、このトライバルデザインの意味なのでしょう。ほとんど直線を排除し、曲線でデザインをしあげるところに、欧米とは変わった独自性を打ち出したということが言えるかも知れません。これはトライバルというデザインのスタイルですが、そのモチーフの多くは「刺青」からきたものです。Habu Boxのデザイナーたちは「刺青」と沖縄の「紅型」を融合することで、沖縄デザインの特殊性を打ち出しました。さらに沖縄の「琉歌」や「伝説」にヒントを得たデザインも手がけはじめます。ここで沖縄のグラフィックデザインは、はっきりと「アメリカン」を「オキナワン」に進化させたということになるとおもいます。この時代に沖縄の風土に合ったデザインへの取り組みが始まったのです。

(つづく)

※次回は「デザイン」もみてもらいながら、Tシャツゆんたくをしますね。

 へいそう。

へいそー